高校の文化祭のあと

今週のお題「ほろ苦い思い出」

 

ほろ苦い思い出といえば、思い出されるのは高校2年生の文化祭だろうか。

 

私の通っていた高校は、進学校ながら文化祭などのイベントごとには結構力を入れていた。

文化祭では、各クラス毎に一つ、何か出し物ができるのだ。

 

茶店、お化け屋敷、ヨーヨー釣り、自作映画の上映・・・など。

結構自由度が高かったのを覚えている。

 

特に、文化祭当日は体育館がメインステージとなるため、競争率が最も高い。

体育館では主に上級生によるコンサート、ダンスショー、ミュージカル、時代活劇など、

クラス一丸となって作り上げたコンテンツが催され、観客で一杯になる。

 

特に、卒業を控えた3年生には優先的に体育館の使用権が与えられ、

受験勉強の合間に練習に励む生徒達の姿が眩しかった。

 

で、

それ以外の1、2年生は残る枠を抽選で取り合う形になるのだが、

なんと、私が2年生の時、あろうことか抽選に当選してしまい、

急遽、体育館での出し物を行うことになったのであった・・・

 

結局、話し合いにより当時流行していたお笑い番組のパクリ劇をやることになったが、

全くウケず、劇は何ともお粗末な出来となった。

 

今更だが、こういうものは「仕方なくやらされる」というスタンスをとるのが一番良くない。と、今になって思う。

生憎、思春期真っ只中の自分にはそれがわからず、

とりあえず、「言われた通りやるだけ」「とりあえず参加するだけ」といったスタンスをとっていた。

何も楽しくなかったし、当然終わってからも何も達成感はなく、

えも言われぬ恥ずかしさと、後悔だけが残った。

 

今にして思えば、一生に一度の高校生時代、しかも文化祭だ。

なぜもっと楽しむことができなかったのか?

 

出し物の候補を決めるとき、何がしたくて、何がしたくなかったか、自分の意見を言ったか?

劇の練習のとき、本気で取り組んだか?

組織に貢献しようとしたか?

人任せにして、うまくいかないのを人のせいにしていなかったか?

 

結局、私はただクラスに存在するだけの、何者でもない「傍観者」でしかなかった。

仲間達と協力しながら何かを創り上げたとしたら、

成功しようが、失敗しようが、

その経験はきっとかけがえのないものになっていたに違いない。

 

でも自分は、一人でただその場に「いた」というだけ。

そりゃあ、面白くも何ともないわけだ。

 

そして、本番。

私のクラスの劇は、午前中にアッサリ終わった。

言われた通りの役を演じた。失敗はなかった。

自分は悪くないはずだった。

でも、何も面白くはなかった。

 

劇が終わった後、

文化祭を楽しんでいる他の生徒達を見て、

ひどく面白くない気持ちになったのを覚えている。

 

多分、自分がそうなれなかったことに対する嫉妬心だったのだろう。

 

体育館裏で記念撮影する生徒や、次の出番を待つ緊張の面持ちの生徒、

忙しそうに運営する生徒会・・・

もうその場にいることが辛くなった。

母が劇を見に来てくれていたが、恥ずかしくてその後は顔も合わせなかったと思う。

 

文化祭というイベントを楽しむ輪に入れない自分がひどくかっこ悪く思えて、

自分はその日、文化祭が終わるまで一人で図書館にこもって過ごしたのでした。

我ながら、痛いヤツ・・・

 

自分の置かれた状況を誰かのせいにしようとするところ。

悲しんでいれば、誰かが気にかけてくれるだろうという打算的な考え。

 

そんな未熟な過去の自分を今でも思い出す、文化祭の記憶でした。

 

自分の頭で考える、自分の意見を持つ、何事も自分事として捉える。

「自分」を持つのはとても大事なことです。

今でも練習途中なのですが、昔から下手だったんだなぁ・・・笑

 

おしまい